(※ 先に、韓国三大悪女とは? と『女人天下』チョン・ナンジョン編、『王の男』チャン・ノクス編をお読みいただくと、これからの説明がわかりやすくなります)
まずは、いつものように彼女の生きた時代背景から見てみよう。(【韓国歴史年表を見る】を参照)
彼女が生きたのは1659年~1701年。「女人天下」のチョン・ナンジョンから100年、「王の男」チャン・ノクスから150年後の時代ということになる。後にヒビンが寵愛を受ける粛宗の父・顕宗18代王が即位した年に、この世に生を受けた。ヒビンは他の2人の悪女と違い、優秀な通訳官と下女の間に生まれた「中人」という身分。当時指折り数えられるほどの巨富の伯父チャン・ヒョンの元で比較的裕福に育っている。(身分については、「『女人天下』チョン・ナンジョン編②」の後半≪ 朝鮮王朝の身分制度 ≫を参考に)
ナンジョンやノクスの没後、壬辰倭乱(1592年=文禄の役)と丁酉倭乱(1597年=慶長の役)の7年にも及ぶ日本との戦争で、王朝はおびただしい人命と財産を失った。戸籍なども消失し、国家運営も危機的な状況だったが、1608年に即位した光海君(15代王)の復興事業と財政再建政策が功を奏して、農業技術も発展し、商工業も活性化してきた。しかし、これも土地を持つ一部の富農層だけが潤っただけのことで、国民全体は依然として厳しい生活を送っていた。
そんな時代にも政を司るはずの朝廷では依然として派閥争いが続き、両班たちは外戚になるため、相も変わらず娘や息のかかった女を入宮させ、王の寵愛を受けることに汲々(きゅうきゅう)としていた。
中宗(9代)以降、勢力を盛り返した「志林派」は、西人派と東人派に分裂し、粛宗の時代には、「西人派」と東人派から分裂した「南人派」との対立が激化していた。粛宗の治世では政治論争が尽きなく、一日として静かな日はなかったという。そこで、粛宗は、政策的には光海君の後を引き継ぎ、朝廷内では、さまざまな党派争いで弱くなった王権を回復するため、ドラマでも描いているように、派閥の力を弱める目的で重要官僚を入れ替える「換局」を3度も行った。
ドラマでは、チャン・ヒビンに振り回されるデレデレぶりの情けない姿も見せているが、実際には、民生安定と経済発展に相当な業績を残し、衰弱した朝鮮王朝に新風を吹き込んだ絶対君主の「最後の強い王」なのだ!
さて、ドラマ「張禧嬪」だが、もちろん主人公のチャン・ヒビン(オクチョン)の生涯を描いた物語だが、同時に、「粛宗」というひとりの男を生涯愛しぬいたふたりの女=チャン・ヒビン&インヒョン王妃の哀しい愛を描いた物語と捉えた方がよさそうだ。そこで、主なキャストをふたりのチームに分けてみた。韓国歴史ドラマはとにかく登場人物が多い!ドラマに入るとややこしくなるので、これだけはしっかり頭に入れておこう。
・「インヒョン」チーム:西人派が応援!
インヒョン(仁顕)王妃=正室、ミョンソン(明聖)大妃=粛宗の母、
スギ(淑儀)=側室、チェムスリ=宮女、キム・チュンテク=策略家
・「ヒビン」チーム:南人派が応援!
チャン・ヒビン(オクチョン)=愛人、チャンニョル大王大妃=粛宗の祖母、
チョ・サソク=大王大妃の弟、東平君=王族、チャン・ヒジェ=ヒビンの兄
※チャン・ヒビンのヒビン(禧嬪)は名前ではなく身分の呼称で、名前はチャン・オクチョンというが、わかりやすくするため、ここでは終始「チャン・ヒビン」で通し、その他の人物もここに記した呼称で紹介する。
さあ、いよいよヒビンの凄まじい人生が始まる。
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※ KBS Download Mallで「張禧嬪(チャンヒビン)」配信中